『あなたはすでに輝いている』7月お寺のお便り・京都 満福寺

お寺の話

7月になりました。

満福寺の山門の大改修プロジェクトも順調に進んでおり、庭園を囲っていたフェンスも一部取り外されました。

当、満福寺のご本尊様は「阿弥陀如来様」です。

毎朝本堂でお勤めをしていますが、日々手を合わせている仏様は阿弥陀如来様ということになります。

「阿弥陀(あみだ)」とは、サンスクリット語で「アミターバ(無量光)」および「アミターユス(無量寿)」を音写した言葉です。

すなわち、阿弥陀如来とは無限の光と無限の命をもつ仏様という意味です。

無量光とは、空間的に無限であり、どんな場所にもその救いは届いているという徳を表しており、

無量寿とは、時間的に無限であり、どんな時代でも、その救いは届いているという徳を表しています。

「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」

宗祖法然上人 御詠歌

この和歌は、法然上人がお詠みになったものです。

「月の光がどこにでも届いているように、阿弥陀様の“すべての人を救いたい”という慈悲の光も、あまねく世界に届いています。しかし、地面ばかり見ていて月を見ようとしなければ、その光に気付くことはできません。その救いの「慈悲の光」に気付いたとき、初めて阿弥陀様がその人の心に住まわれ、感謝の心で日々を生活することができるのです。」と詠まれています。

 科学的に見ると私たちが、この月明かりを見ることができるのは、宇宙から届く「可視光線」(人の目に見える電磁波の一種)があるからです。

宇宙には数えきれないほどの星が存在し、それぞれが熱放射によって光を放っています。

星の温度が高いほど、紫外線・可視光線・赤外線など様々な光を照射していいます。

私たちの目には可視光しか見ることができませんが、実は赤外線カメラを使うと、人の体は常に赤外線でキラキラと輝いていることがわかります。その輝きは、なんと百ワットの電球数個分にもなるそうです。

もし、人間の目に赤外線が見えたなら、暗闇でまぶたを閉じても、自分自身が輝いて見えてしまうので寝ることすら困難になり大変なのですが・・・

このように、赤外線カメラを通して初めて「実は自分が常に光輝いている」と気付けるように、仏教を通して、違った見方や考え方を知ることで、こうして日本に生まれてきたことや日々の生活そのものがすでに、『ありがたいこと』だったと気付けることが、阿弥陀様の「慈悲の光」なのだと私は思います。

月の光に照らされた自分の姿に気づいたとき、阿弥陀様の慈悲の光に包まれていると実感し、自然と感謝のお念仏をお唱えする。そのような日々を送っていただけましたら幸いです。

今年も七月十二日(土)十三時から満福寺の本堂で『念仏のつどいvolume.8』を開催いたします。

今回は滋賀県からハープ奏者の尾藤詩織(おふじしおり)氏にお越しいただき、アイリッシュハープの演奏と法話で皆さまが笑顔になってもらえたらと計画中です。当日はたくさんのお参りをお待ちしております。

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