先日、年忌法要に行った際、ご家族からこんなお話を聞かせていただきました。
ある日、息子さんが『外から「ホォーホォー」と今にも命の火が消えいりそうな弱々しい鳥の鳴き声が聞こえてくる』と。
これは巣から子どもの鳥が落ちてしまったのか、お母さんに助けを求めている。そして、その鳴き声はだんだんと弱くなっていて、一刻も早く見つけて助けださないと天敵に食べられてしまうかもしれない。
家族みんなで外に出て、必死に探すが、巣は見つからない、そして、その子鳥の姿も見当たらない。
結局、見つけることができず、家の中に戻ると
さっきの弱々しい「ホォーホォー」という鳴き声が部屋の中から再び聞こえてくる。
家族全員で耳を澄まして、「ホォーホォー」の音の出どころをたどると、なんと奥の部屋から「ホォーホォー」と聞こえてくるのです。
そして、その鳴き声のする先には、
何と!!おばあちゃんの部屋があり、間違いなくおばあちゃんの部屋から、さっき聞いた小鳥の「ホォーホォー」という弱々しい鳴き声が聞こえてくる。
誰がおばあちゃんの部屋に行くのか、
家族会議の末、お母さんが代表して、おばあちゃんの部屋に行くことになり
意を決して、お母さんがおばあちゃんの部屋に入ること数分後・・・
お母さんが大爆笑して戻ってきた。
弱々しい鳥の鳴き声の正体は・・・
なんと
おばあちゃんがオカリナを吹く音だったのです(笑)
当時、おばあちゃんはオカリナ教室に通いはじめ、一生懸命にオカリナを吹く練習をしており、おばあちゃんがオカリナを吹くと絶妙に空気が抜け、ちょうど今にも命の火が消え入りそうな弱々しい小鳥の鳴き声のように聞こえていたのです。
家族の方が「長生きしても自分は何もできない、早くお迎えが来てほしい」とよく口にしていたけど、当たり前に会えなくなった瞬間、そこに存在するだけで絶大な安心感があったことに気付いたと言っておられました。
実は、そこにいてくれているだけで知らぬ間に多くの人を幸せにしているのです。
ただそこに居るだけで実はとてもありがたい存在だったのです。
だから、あなたも何もしなくてもありがたい存在なのです。何かしてあげないといけないという思いは大切ですが、心の余裕が出来たときに人の為に何かをしてあげようかなというぐらいの心持ちで大丈夫なのです。
今年で7回忌を迎えるオカリナのおばあちゃんですが、家族の誰かが「おばあちゃん」の話をしたり、聞いたりして、「くすっ」と誰かが思い出したり笑うことでおばあちゃんがみんなの中に再び生き続けるのだと思います。法事とはそういったものだと私は思います。
「あれが欲しい」や「こうなりたい」と目に見えるものも大切ですが、「おかげさま」や「側にいてくれるだけでありがたい」と言ったような、目に見えないものに対する感謝の気持ちも大切したいですね。
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