『「悩み・苦しみ」という泥水が濃いほど、「幸せ」という大輪の蓮の花が咲く』8・9月お寺のお便り・京都 満福寺

お寺の話

こんにちは、満福寺の住職をしています秀乘(しゅうじょう)です。

京都市中京区にあります満福寺の住職。また、六満こどもの家(夜間保育園)の園長をしながら、一人でも多くの方が明日が大好きになって今日一日を笑顔になれるような情報を日々、発信しています。

今年のお盆は、7月に私がアキレス腱を断裂してしまい、お参り等で多くの檀信徒様にご迷惑をおかけいたしました。

それでも何とか無事に最終日まで参りを終えることができ安心しております。まだまだ暑い日が続きますが皆さまはお変わりございませんでしょうか。

『「悩み・苦しみ」という泥水が濃いほど、「幸せ」という大輪の蓮の花が咲く』

小林 正観

 人生には幸せだと感じるときもあれば、「なぜ私がこんなに苦しい思いをしないといけないのか」と苦しい思いをすることもたくさんあると思います。まさに『思い通りにならない』のが私たちの人生なのかもしれません。

 私自身、アキレス腱を断裂してしまい、なぜこんなタイミングでこんなことになるのだろうと最初は自分自身を責めてしまう気持ちが大きかったです。

しかし、この夏のお盆を終え、足の具合もだいぶ回復してまいり、振り返ってみますと親との会話する時間、多くの方のおかげ様に気付けたことなど、この怪我も何か意味があったのかもしれないと思えるようになりました。

お釈迦様もお悟りを開かれ「人は生きているかぎり、悩み、苦しみというものは、一生なくならない」と最初に説かれました。

しかし、お釈迦様は思い通りにならないから人生を諦めるのではなく、多くの苦しみを経験することで「ありのままの自分を信じて、一歩ずつ前に向かって進んでいけば、あなただけの素敵な花が必ず咲くのだから、今はたくさん笑って、たくさん泣いていいのだよ」と教えてくださっているのかもしれません。

 最初の言葉は、心理研究家であり多くの著書を残されている、小林正観(こばやしせいかん)さんの言葉です。

蓮の花は「泥水」の中からしか、立ち上がらず、綺麗な真水では、蓮は立ち上がってこないのです。しかも、泥水が濃ければ濃いほど、蓮の花は、大輪の花を咲かせることができるのです。

泥水とは、人生になぞらえれば、「つらいこと」「悲しいこと」「大変なこと」です。蓮の花を咲かせるということは、まさに「人生の苦難の中で、花を咲かせること」なのです。

「幸せの花を咲かせる為には、私たちには泥水が必要不可欠である」そう思うことができれば、「不幸」「悲劇」と言われることでも、実は自分にとって、うれしく、楽しく、幸せで、素晴らしいことにつながるということに、気付けるのではないでしょうか。

私もアキレス腱断裂という経験の中で、普段当たり前に歩けることの有難さ。みなさんがサポートしてくださる有難さ、そして、怪我をしたからこそ出会えたご縁など多くのおかげ様に気付けたような気がいたします。この経験を生かして自分だけの花を咲かせたいと思います。 

最後まで記事を読んでいただいてありがとうございました。

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