「挨拶」に込められた慈悲の祈り《京都・満福寺6月 お寺のお便り》

満福寺の庭園にある池の錦鯉も元気に泳いでおります。皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

満福寺の境内地には「六満こども園」があります。

満福寺は六角通りに面しているため、毎朝、六満こども園の園児たちが登園する時間帯は車の交通量も多いので、門前で立ち番をしております。

その際、子どもや保護者の皆さまに「おはようございます」「いってらっしゃい」と声をかけますが、元気に「おはようございます」と挨拶を返してくれる子、恥ずかしそうに目を合わせるだけの子、そのまま走って行ってしまう子など、様々な子どもたちがいます。

挨拶は社会人の基本スキルと言われるほど大切なものです。人とのコミュニケーションを良好に保つためには挨拶は欠かせません。

この「挨拶」という言葉は、「挨(あい)・・開ける」「拶(さつ)・・近づく」というつの漢字から成り、「自分の心を開いて相手に歩み寄り、互いに思いやる」という意味があります。

また、「挨拶」はもともと禅宗の修行の一つでもありました。師匠が弟子に対して修行の深まりを確かめるために問いを投げかけ、弟子が自分の悟りの境地をぶつける(心を開いて迫る)やり取りを「一挨一拶(いちあいいっさつ)」と呼んだそうです。

以前にこのようなお話を聞かせていただきました。

ある女子高生が交通事故に遭いましたが、幸いにも怪我もなく一命を取り留めました。彼女は警察の事情聴取に対し、

「事故の瞬間、誰かに引っ張られた」と証言しましたが、周囲に人の姿はありませんでした。

何かもっと詳しいことはないかと尋ねると、彼女はこう話しました。「事故とは関係ないかもしれませんが、その日の朝、母と些細なことで喧嘩をしました。黙って家を出ようとした私に、母が『何か言うことはないの』と尋ねたのです」

実は、彼女のお父さんはトラックの運転手でした。その日は2人とも忙しくしており、「いってらっしゃい」「いってきます」の挨拶を交わさないまま仕事へ出た日に、お父さんは事故で帰らぬ人となってしまったという過去があったのです。

それ以来、お母さんは「どんな時でも、必ず挨拶をしてから家を出てほしい」と願うようになり、その日も2人はしっかりと言葉を交わして家を出たのでした。

「いってきます」には「行って、帰ってきます」つまり、「必ず無事に家に帰ってきます」という約束が、

「いってらっしゃい」には「家を出て、必ず無事に帰ってきてらっしゃい」という切なる願いが込められています。

彼女が助かった不思議な力は、お母さんの「無事に帰ってきてほしい」という言霊の力があったのかもしれません。

「南無阿弥陀仏」というお念仏にも、「決してあなたを見捨てない、どこまでもあなたの側に寄り添い、苦しみを共にし、必ずあなたを救います」という願いが込められています。

その阿弥陀様の慈悲の呼びかけに対し、「ありがとうございます」という感謝の心で「南無阿弥陀仏」と応えることが、究極の「挨拶」になるのだと思います。

「南無阿弥陀仏」と唱えることは、「私とすべての命とのつながり」に気づく大切な仏道修行の実践そのものです。

日常の当たり前の「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おはよう」という多くの言葉の中に込められた多くの方の慈悲の思いに気づいていだたき、一日一日を大切に過ごしていただければ幸いです。

さて、6月のお寺の日には、インストラクターの安久友規(あぐゆうき)氏を満福寺にお招きし、「健康体操と法話」を10:30より開催いたします。

ぜひ、皆さまお誘い合わせの上、ご参加いただけますと幸いです。

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