『二本の矢の教えに学ぶ、心が軽くなる生き方とは!?』お寺のお便り【令和8年3月】(京都・満福寺)

お寺の話

早春の候、満福寺の庭園の梅も満開となり、見ごろを迎えております。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

鐘撞堂の鐘も無事に設置していただきました、3月のお彼岸には、すべての工事が完了した状態で満福寺へお参りいただける見込みです。ぜひ、きれいになった満福寺へお越しいただけましたら幸いです。

さて、3月はお彼岸の月でございます。

「彼岸」という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター」に由来し、漢訳では「波羅蜜多(はらみった)」といいます。「向こう岸に到る」という意味で、迷いの世界である此岸(しがん)から、悟りの世界である彼岸(ひがん)へと渡ることを表しています。

お釈迦さまは、「悟りを開いた聖者」「悟りを開いていない凡夫(ぼんぷ)」の違いを、二本の矢にたとえて説かれました。

まず、どのような人であっても、一本目の矢が刺さる運命にあります。

この第一の矢は、避けることのできない矢です。病気やトラブル、災害など、私たちの力ではどうすることもできない苦難・困難・災難がこれにあたります。

この第一の矢は、様々な思い通りにいかない『難』を私たちが経験することによって、何気ない日常の中にこそ多くの幸せがあるということに気づかせてくれるご縁になります。

問題は、第二の矢です。この矢は、怒りや苦しみ、欲望や執着といった心の矢になります。

「なぜ自分ばかりがこんな目にあうのか」と怒り、現実を拒否する。

「あの時こうしておけばよかった」と過去を悔やみ、自分を責め続ける。

「もしこうなったらどうしよう」と未来に不安を抱き、行動できなくなる。

このように、自分で自分を苦しめてしまう心の矢が、第二の矢になります。

人間には、他の動物にはない唯一の感情があるそうです。それが「ネガティビティ・バイアス」というもので、過去の後悔や未来の不安など、物事を悪い方へ、悪い方へと考えてしまう傾向のことをいいます。

この思考があるからこそ、人間は危険を予測し、発展してきました。しかし、同時に、この思考が「今この瞬間を生きることができずに苦しんでしまっている」原因にもなっているのです。

お釈迦さまは、「聖者も凡夫も、第一の矢を受けることに変わりはない。しかし、悟った聖者は第二の矢を受けない。そして、悟りを得ていない凡夫は、自ら第二、第三の矢を刺し、苦しみを増やして悩んでしまう。」

では、どうすれば悟りの世界に渡れるのでしょうか。

大切なのは、第一の矢は誰にでも刺さるものだと「気付く」こと。

そして、第二の矢以降は自分自身の心が生み出しているのだと知ることです。このことを知っていれば、ありのままを受け入れ、「今、この瞬間」を生きることができるのです。

お彼岸の大切な期間に、仏さまの教えを聞き、仏の教えを実践していくこと。その積み重ねが、悟りへとつながり、真の幸せへと導いてくれものになるのです。

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